奥出雲で、日本の棚田百選に選ばれている「大原新田の棚田」を見てきました。
目次
大原新田の棚田
「大原新田の棚田」は江戸時代初期(1624年頃)付近へ居を構え、たたら製鉄を営んだ「絲原家」によって開発されたものです。
最初は、棚田のある土地の山裾を砂鉄を採取するため「かんな流し」として利用しました。
地形上用水を十分に賄うことができないため、流水は数キロ離れた金川集落より全長2キロに及ぶ水路を作り引かれました。
そして大原炉(たたら) の※操業を終えたた後、新田開発をして整備したものと考えられています。※(操業は1738年から5年間と1773年から17年間とあります)
金川集落より引かれた流水は、そのままこの棚田の用水として活用されています。
棚田の平均勾配は1/8 、面積 は4.9 ha。
棚田の景観
(訪問日2018年6月)
国道314号から「八川駅」付近で県道49号にはいり、暫く車を走らせると「大原新田の棚田」への案内板が見えてきます。
案内板が示す道から少し北にある枝道に入り、土敷きの駐車場に車を停めて展望台から棚田を鑑賞しました。
駐車場
案内板から少し北にある道の脇に、土敷きの駐車場が設けられています。
それと県道49号沿いにある棚田の説明版の近くに、普通車2台分ほどの駐車スペースがあります。
展望台
展望台が設けられているのは、土敷きの駐車場奥。
少し坂を上がった所です。
展望台からは、棚田を側面から眺望できます。
(ここからアップで棚田の写真を撮ると、どうしても電線が映りこんでしまいます。)
棚田の上部からの眺め
展望台から降りた後は、案内板の示す道に入り周辺を散策しました。
「大原新田の棚田」の特徴は、一枚一枚面積が広い土畦畔(けいはん)の田が整然と並んでいることです。
きっちりと整った棚田の姿は、まるで近代の技術で※圃場整備されたかのようにも見えますが土地改良事業の導入も無く、開墾当初の姿をほぼ受け継いでいるそうです。
(※圃場(ほじょう) 作物を栽培する田畑。)
江戸時代には、すでに高い土地整備技術があったことの証左でしょう。
棚田の上部から付近を眺めると、大原新田の周辺にも広い範囲にわたって田園が広がっていることがわかります。
そして付近の棚田に、ほとんど休耕田がないことにも驚かされました。
これは、まっすぐな畔を持ち形の整った面積が広い田が整然と並んでいるため、機械が入りやすく耕作しやすいためではないかと思います。
(棚田の中心には、舗装された道が通っていました。)
現在も続く棚田維持の活動
この地区の関係者たちは、今でも山中を通る水路の見回りや年数回にわたる水路の泥上げ及び管理道の整備を行っているそうです。
この素晴らしい田園風景は、この地区の人々が数百年前から労力を注ぎ現代に残してくれた努力の結晶といえるでしょう。
そしてそれは、今も変わらず昔の景観を維持しているすべての棚田においていえることでもあります。
まとめ
広い田が整然と並ぶ景観から、江戸時代の農地整備技術の高さを窺える棚田です。
「大原新田の棚田」の南部にも、広範囲に田園地帯が広がっています。
車で走った感じだと、道沿い数キロにわたって田園が続いていたように感じました。
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基本情報
所在地 島根県仁多郡奥出雲町大馬木
交通アクセス 八川駅~3.3キロ 車で6分
料金 無料