長興山紹太寺のしだれ桜 ~紹太寺建立時に植えられたと伝わる県下有数の桜の名木~

長興山紹太寺でしだれ桜 を見てきました。

目次

箱根登山線「入生田駅」から道標にしたがって住宅街を5分程歩き、長興山紹太寺に到着。

(駅近くの案内板によると、「入生田駅」から長興山紹太寺までは400mしだれ桜までは1100mだそうです。)

長興山紹太寺

長興山紹太寺は江戸時代初期に、小田原藩主だった稲葉一族の菩提寺です。

もとは小田原城下山角町にありましたが、二代稲葉美濃守正則が寛文九年(1669年)に現在の場所に移建し、山寺号を「長興山紹太寺」とし父母と祖母である春日局の霊をとむらいました。

 

開山は京都宇治の黄檗山万福寺で、隠元禅師のもと修行に励んでいた名僧の鉄牛和尚。

 当時は、広大な寺域に七堂伽藍が配置された大寺院で、元禄4(1691)年、江戸への旅のとちゅう、ここを通過したドイツの医師ケンペルは、長興山の総門の壮麗な姿を、「江戸参府旅行日記」に書きとめています。

 (本堂の軒にかかっている扁額に刻まれた、長興山の三字は隠元禅師の書だそうです。)

 黄檗宗(おうばくしゅう)

長興山紹太寺の宗派は、江戸時代になって伝来した禅宗の一派である黄檗宗。

開祖は、江戸時代(承応3(1654)年)に中国からやってきた隠元禅師。

教義的には臨済宗に近く、明朝の念仏禅を伝えていることに特徴があります。

現在でも黄檗宗の読経は、すべて唐韻(中国語の読み方)で行われます。

日本三禅宗の一つですが、自分は今回訪れた紹太寺で初めて黄檗宗のことを知りました。

ちなみに紹太寺では、隠元禅師が福建省から日本に伝えた中国の精進料理である「普茶料理」を食べることができます。

普茶料理の名は、「普く衆に茶を供する」という意から生じているそうです。

(普茶料理を食べるには4名様以上の予約が必要です。時間は午前12時から。)

(夕刻からと、8名以上は要相談。)

 しだれ桜までの道のり

寺をすぎて少し坂を上がると、石段とアスファルトの坂道の分岐があります。

石段は山を通る散策道から、しだれ桜へ。

アスファルトの坂道は直接、しだれ桜へ通じています。

今回は行道に石段を使い、帰り道にアスファルトの道を使いました。

(石段を上がると、透天橋といわれる石橋があります。)

(長閑な風景の畑の中に、七堂伽藍跡がありました。)

(石橋から、しばらく進むと分岐があります。)

(前方が稲葉一族の墓(春日局の墓)への道。 )

(右に曲がるとしだれ桜へ道です。 )

(右折して少し行くと、鉄牛和尚の寿塔へ向かう石段がありました。)

(しだれ桜へは石段脇の右側の道を歩いて行きます。)

長興山のしだれ桜

長興山のしだれ桜は、枝を八方に平均的に広げ大きな傘のような樹冠をした見事なエドヒガンです。

(長興山のしだれ桜の比べて、小振りなしだれ桜のある坂が観賞ポイントのひとつになっています。)

江戸時代の藩主、稲葉氏が紹太寺を建立したころ植えたといわれ、樹齢約330年以上だといわれます。

高さ約13m、株元周囲約4.7mの名木で「かながわ名木百選」「小田原市指定天然記念物」に選定されています。
見ごろは、例年3月下旬から4月上旬頃です。

(桜の近くには売店が開かれ、ゆっくりと花見が出来るようテーブルとベンチが置かれていました。)

(現在はしだれ桜の保護のため見ることは出来ませんが、しだれ桜の下段にまわる階段脇に「松蘿圃」の三字が彫られている刻銘石があるそうです。)

まとめ

傘のように大きく枝を広げ端正な樹形をした、しだれ桜は実に見ごたえがあります。

売店がありベンチも多めに置かれていたので、落ち着いて花見が出来ました。

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基本情報

所在地

神奈川県小田原市入生田

交通アクセス

箱根登山線「入生田駅」から約1100m

料金

無料

訪問日

2018年3月

地図